元々司法書士は裁判所への書類を作る職業だった

先日の記事で、家庭裁判所への後見開始の審判の申立書を司法書士が作るという内容のものをアップしました。

不動産登記や会社設立、昨今では簡裁代理権が話題に上がることが多い司法書士ですが、実はこの裁判所提出書類作成業務、司法書士の行う業務の中では最古の業務です。

司法書士法第3条第4号では、検察庁や法務局に提出する書類に合わせて裁判所提出書類の作成業務について定めています。

裁判所に提出する書類であれば作成が可能で、我々が代理権を付与された簡易裁判所だけでなく、地裁、家裁、高裁、最高裁に出す書類についても書類作成が可能です。訴額140万円の縛りもありません。

司法書士法第3条第4号  裁判所若しくは検察庁に提出する書類又は筆界特定の手続(不動産登記法 (平成十六年法律第百二十三号)第六章第二節 の規定による筆界特定の手続又は筆界特定の申請の却下に関する審査請求の手続をいう。第八号において同じ。)において法務局若しくは地方法務局に提出し若しくは提供する書類若しくは電磁的記録を作成すること。

司法書士制度の沿革

司法書士の起源は明治5年(1872年)の太政官規則「司法職務定制」が第10章で定めた代書人です。

第42条第1では、「各区代書人ヲ置キ、各人民ノ訴状ヲ調成シテ其詞訟ノ遺漏無カラシム、但シ、代書人ヲ用フルト用ヒザルト本人ノ情願ニ任ス」と定めており、代書人が行う訴状の作成について規定しています。

その後の明治19年(1886年)、登記法が制定され、登記は裁判所の管轄で行うことになりました。

従って、登記業務は司法書士にとっては後で追加された業務ということになります。

その後、代書人のうち、裁判所構内で営業する許可を受けて市民の依頼などに応じて訴訟書類の作成と登記申請代理をしていた代書人(「構内代書人」)を司法代書人とする司法代書人法が大正8年に制定されました。昭和10年には、司法書士法が制定され、司法代書人は司法書士と名称が変わりました。太平洋戦争以後、三権分立の徹底の中で、登記業務が裁判所から法務局の管轄に移ります。司法書士制度は昨年、140周年を迎えました。140年前と言うと、新橋~横浜間に日本で初めて蒸気機関車による鉄道が開通した年です。

なお、大正8年の司法代書人法で、司法代書人以外の代書人は法律上存在しないことになりました。しかし司法代書人ではない代書人は事実上存在していたため、内務省令による取締の対象になっていたようです。そういった代書人は一般代書人と呼ばれ、行政書士の前身だったようです。なお、行政書士という言葉が法律上初めて現れるのは、太平洋戦争以後の昭和26年のことです。

現代における役割

従来は登記業務がクローズアップされがちだった司法書士ですが、裁判所提出書類作成業務は再び増えているように思います。代表的なものは自己破産の申立てや後見開始の審判の申立てが挙げられます。また、代理人をつけずに自ら法廷に立つ「本人訴訟」を支援する書類作成を行うこともあります。強制執行の手続きを申し立てる書類を作ることも多くなりました。

こういった業務を伸ばすためには、司法書士の民事手続きに関する知識の涵養にかかっていると思います。